能勢伊勢雄・植田信隆コラボレーション展「渦と記憶」タイトル画像
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Galeria Punto代表挨拶 籔 多聞
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能勢伊勢雄・植田信隆コラボレーション展「渦と記憶」のご案内をいたします。能勢さんが時間と空間を縦横無尽に横断しながら概念を結びつけて創った「遊図」と呼ばれる図に、「渦」をテーマに作品を創り続けてきた植田さんが写真とコンピュータ・グラフィックスによってイメージを添えるという形式で展開される作品群です。
能勢さんの説明によると、「遊図」とは領域を横断し概念を結び付ける「知図」(地図)のことだそうです。 世界を見渡すと実に多くの深刻な問題が加速度的に増加しており、さらにそれらの問題が複雑に絡み合って問題の解決を非常に困難に しています。
この悲観的にならざるをえない世界の現状を考えると、「遊図」のような様々な概念を結びつける試みが、アートのひとつの表現として提示されることに、未来に向けて問題解決の強力な示唆を与えるのではないかと希望が湧いてまいります。 この新しい知のアート展開を、是非ご覧下さいますようお願い申し上げます。

 

相互の横顔を語る
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能勢伊勢雄(文・植田信隆)

「人類とは、我らが惑星の高次の感覚、この星を上なる世界に結びつける神経、地球が天を仰ぎ見る眼なのだ。」かつて、ノヴァーリスは、このように断章の中に著した。この意味において、能勢伊勢雄氏は全き人類であると言える。太古に、諏訪湖が「天の真名井」と呼ばれ、その神渡る水面が天上界の全てを映し出す鏡であったよ うに、能勢氏の眼は、アンダーグラウンドの底から突き出て、その極座標を持つ網膜に森羅万象を映し出そうとする一個の意思である。 能勢を思い浮かべる時、私は、つい、このようなことを夢想してしまう。能勢氏は、数々の展覧会の企画への参画で著名な人である。『ANOTHER WORLD』展(水戸芸術館)『龍の國尾道・その象徴と造形』展(尾道市立美術館)『X-COLORグラフィティ in Japan』 展(水戸芸術館)など枚挙にいとまがない。一方で写真、映画など ビジュアルな世界でもアーティストとして活動している。最近では、若い頃から制作していた「遊図」と呼ばれるコンセプチュアルな図を展示することもしばしばである。私にはこの「遊図」がとても魅力的なのだ。 「遊図」は、ジャンルと時代を自由に横断しながらコンセプトを結び付けていくチャートである。当然ながら極めて広範な知識と強靭な編集力と一貫した強い意志を必要とする。そもそも、「遊図」とは、編集作業の精華なのである。松岡正剛氏が工作舎を立ち上げ、 そこから発刊したオブジェクトマガジン『遊』。「遊図」の起源はそのあたりにあるという。その松岡氏の主催するISIS編集学校の師範を能勢氏がしているとなれば、何故このような世界を開示できたのかを納得していただくのは容易だろう。今回の展覧会は、能勢氏に「渦と記憶」をテーマに自由に「遊図」を制作していただいたものに私、植田がイメージを添えさせていただいた。蛇足という他はないのだが、コラボレーションの作業は、私にはとても楽しかった。#1から#4までが四大とエーテルと渦、#5から#7までが古神道と教派神道、#8から#10までが宇宙論、#11から#13までが哲学史の流れとメディアに出現する現代の悪の表現メディア・パラクレート。以下、音律と音階、形態学、神聖幾何学、生命史と一見バラバラなテーマは、渦をベースに執拗に編集されている。アーヴィン・ラズロは、宇宙の記憶について語り、ディヴィッド・ボームはその物理的システムを渦のアナロジーから説明しようとした。 宇宙は、記憶を持つのかもしれない。この虚空に刻まれた渦の記憶を、この展覧会を通じて、是非ゆっくりとお読みいただきたいと思っている。能勢氏は、1947年岡山生まれ。岡山市にてライブハウス「ペパーランド」を主宰。写真を山崎治雄師に学ぶ。20代から映画を制作。代表作にドキュメンタリー『共同性の地平を求めて』 がある。また、代表的な展覧会として倉敷市立美術館を中心とした岡山・倉敷市連携文化事業『スペクタクル能勢伊勢雄1968-2004』をあげることができる。

 

植田 信隆(文・能勢伊勢雄)

今回の展示作品はCGと写真で構成されているが、植田氏は数多くの絵画作品を創っている。その数はゆうに美術館を一杯にするだけの量がある。彼の作品を理解するには、氏がこれまでに手掛けた膨大な量の絵画作品について語るのが最短コースである。絵具に蜜蝋を混ぜ、一気呵成に螺旋を描く作品を見せて頂いたことがあるが、その時、植田氏は「手の動きについてくるように絵具を調合している」ことを語った。それを証すかのように、キャンバス上には手の動きに追従した美しい螺旋が残されていた。絵具を揮発油で伸ばし、絵具に“やわらかさ”を与え、手の動きとシンクロさせて描かれたものだ。この“やわらかさ”が渦を考える時に重要な要素となる。硬化した世界では渦は現れない。渦は“やわらかさ”のなかで姿を 顕し“感覚器官”として働き表面積を拡げながら“外界”を渦の中に巻き込み取り込むのである。地上の物質に宇宙辺縁から力を及ぼ しているエーテル作用を取り込み、物質を形成・変容させる行為なのだ。それは母胎の中で人体の器官を形成する胎生学的な行為であり、“やわらかさ”のなかでのみ実現する“渦”の神秘である。このことはまた、絵画や彫刻、写真、工芸…にいたるまで、こと造形に係わる総ての作家が知らなければならない、古代から語られてきた“造化の秘密”である。作家が身体を用い、地上素材(物質)の凝縮力を一瞬解き放ち、諸天体も視野に入れた環境(エーテル界) が与える諸力を受け止め、そこに変容過程として現われる形態を作品として“仮止め”する行為のことだ。人智学を通じて磨き上げられた植田氏の叡智が形態の中に宿る造化の意味を読み取る。この時、宇宙が現在も私達に働きかけ形態のなかに潜像を留めるのである。そして、潜象が私達のなかにあるかすかな宇宙的記憶(アカシャ) を呼び起こす。この薄れゆく記憶を“想起”させる行為がアートの本質であると言っても過言ではない。植田氏はこれらのことを最も感じやすい“渦”という根源的な形態をテーマに選び、“やわらかさ”を与えカスタマイズした絵の具でもって見事に成し遂げて来た。このような経緯を知れば、この展覧会のテーマに植田氏が「渦と記憶」を選ばれたことも納得出来よう。そして、今回のCGと写真で構成された植田氏の作品のなかにも、このようにして創られた感覚器官としての“渦”の姿が持ち込まれている。植田氏が“渦”を介して受け取ろうとしているアカシャな 記憶が織り込まれた世界を感じていただければと思います。植田氏は、1957年生まれ。広島大学教育学部美術科を経てオーストリア国立ウィーン応用美術大学にてアドルフ・フローナー教授から絵画を習得。神戸芸術工科大学大学院研究生として高木隆司特任教授のもとで渦の実験と解析を行い、カオスが産み出す“渦”と人為に依って産み出された“渦”の判別法を有史以来初めて確立した。このことは今後の複雑系アートやカオス系アートを扱う作家に大きな影響を与えることになる。「植田信隆」という作家の背景には、このような明確な蓄積があることが最大の魅力であり最も信頼できる点である。

 

芸術と未来 Art and Future
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遊図 Conceptual chart  能勢伊勢雄

1910年代、ヨーロッパを代表するある企業家は、当時の前衛絵画であるキュービズムの絵画からインスピレーションを受けベルトコンベアによる生産方法を思いついたという。キュービズムの絵画が意味していたものは、パーツ(部分)をアセンブル(再構成)するオートメーションの生産方法であった。このように新しいアートの中から次の時代を切り拓くイデアを企業家達は必死に読み取ろうとして、身じろぎもせず作品と何時間も向き合っていたという。私は「遊図」というコンセプチュアル・アートに取り組むにあたり、アートは未来を切り拓く具体的な示唆を与えるものでなければならないと考える。私達が世界を考えるときに拠所とする“概念”のチャートを介して、心中の霊的イデアであるところの“観念”に変化をもたらすことにより、私達の世界観を未来に導いて行くことができる のだと思う。マルセル・デュシャン以降の現代のアートには、“眼の快楽や癒し”を越えた、このような力が求められている。「遊図」 によって多様な”観念”を呼び醒し、次の時代に必要とされるイデア を創発して頂ければうれしく思います。

 

渦 Whirlpool  植田信隆

結晶化作用を第一世代システム、ベローゾフ・ザボチンスキー反応のような化学時計を第二世代システム、カルマン渦列を第三世代システムとする、そのような分類もあるようです。私は、時々第四世代システムや第五世代システムを夢みることがあります。それはどのような形態なのだろうかと。このように述べれば、人は私のことを非線形性の科学者かカオス理論を研究する学者のように思うことでしょう。私は長らく絵を描き、時に写真やCGを用いて作品を制作してきました。一方で、カルマン渦やマンデルプロ集合などがスケーリングを伴う律動する形態を生み出すことに興味を持ってきました。それらの形態たちは、時に道教やケルト美術にみられるような異形を際立たせます。古代ギリシアの大理石彫刻に刻まれた風に翻る衣装の襞からアンリ・ミショーのデッサンにいたるまで、運動をモチーフにした形の中にスケーリングと律動は編みこまれています。私は、このような動きの中に何か未来の芸術が潜んでいないかとずっと覗き続けているのです。それは、時としてこの世界と向こう側の世界の狭間をイメージさえさせるのです。

 

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