9 May – 21 May 2006
青地大輔・胎生的記憶の写真家
空を飛行する鳥たちの群れを大きな写真で展開した奈義町現代美術館の作品。そして、同一のテーマを動画展開したギャラリーSlogadh 463での映像展を経て、雨水の水紋を撮った公文庫カフェでの写真展。最近ではgallery Yoshiで公開した海中の浮遊感溢れるクラゲの動画へと青地氏の作品は数年間をかけて変化してきている。この一連の変化を見ながら彼は古生代からの生命進化を無意識的に辿っているのではないだろうか?と思えて仕方がない。
『恐竜異説』を書いたR.T.バッカー博士の説や旭川市科学館で開催された『大空に羽ばたいた恐竜たち』展によれば、飛行する鳥たちは絶滅した恐竜たちが姿を変え生き延びた姿だという。有名な始祖鳥の化石が恐竜の骨格を兼ね備えていることを思い起こせば、青地氏が撮った鳥類の先に恐竜のイメージを見ることはあながち不可能ではないだろう。空に恐竜の棲む古代のビジョンを予感しながら視線が地表に注がれるとき、ここでも生命進化に欠かせない生命誕生の源である水面を捉え、個展会場を埋め尽くした雨水の水紋を撮った作品となって結実した。しかも、雨という古代のビジョンから天降(あまも)る天からの捧げものとしての痕跡が多数の水紋として展示された。
次に彼が表現したのは腔腸動物である海中のクラゲが浮遊する映像作品であった。生命進化の最大のステージであるところの海中に視線が移されたのである。そこには生化学者A.G.ケアンズ=スミスの言う生命の逆鋳型から誕生したコアセルベート状の、あるいは寺田寅彦の言う生命渦流が産みだすコロイド状の原始細胞膜形成の故郷があった。この生命エーテルの溶液である海水から複雑な進化過程を経て多様な生命体が形成されていった。青地氏の作品はこのような記憶を呼び起こす。彼の一連の作品から見えてくることは、”青地大輔”という生命体が捉えた〈自身〉の誕生までの胎生的記憶であるといえよう。
このことは獲得形質の遺伝を問題にしたJ.B.ラマルクに始まり、三木成夫が研究した受胎から出産までに辿る生物の形体的変化と複雑に絡み合う。このように見てくると魚類、両生類…などの変化を内包した人間誕生までのドラマを青地氏はこの地上の光景の中で描いているといえる。これは〈大いなる夢〉である。胎生学的な〈大いなる夢〉を、我々がよく見る空や海という日常の中に見いだしうる作家は果たして幾人いるだろうか? また、青地氏がライフワークとして取り組んでいる「犬島」を取り巻く環境は空と海だったことも併せて思い出して欲しい。何度となく犬島に渡ったという青地氏の行為は空と海に挟まれた世界へ接触するためであり、生命進化の感覚を呼び醒すための行為ではないのかと推測される。その感覚はある種の夢想状態を伴う。
これらのことを前提にしてみると今回の展覧会の映像は、浮遊する腔腸動物のクラゲから魚へという骨格形成を遂げた金魚に変わり、映像のループは真っ白なチルアウト状態となって長いタイムスパンで徐々に消えていく。それは私たちが眠りから醒めるときに体験する感覚だ。夢の中で遠方の微かな音を聞きながら次第と意識がしっかりとしてくるチルアウト感覚に近しいものだ。しかし、青地氏の描く夢は単なる夢ではなく、胎生学的な夢であり、その壮大な夢を終えて現実の世界へ着地するチルアウト感覚が今回の作品では描かれている。
能勢伊勢雄
空を飛行する鳥たちの群れを大きな写真で展開した奈義町現代美術館の作品。そして、同一のテーマを動画展開したギャラリーSlogadh 463での映像展を経て、雨水の水紋を撮った公文庫カフェでの写真展。最近ではgallery Yoshiで公開した海中の浮遊感溢れるクラゲの動画へと青地氏の作品は数年間をかけて変化してきている。この一連の変化を見ながら彼は古生代からの生命進化を無意識的に辿っているのではないだろうか?と思えて仕方がない。
『恐竜異説』を書いたR.T.バッカー博士の説や旭川市科学館で開催された『大空に羽ばたいた恐竜たち』展によれば、飛行する鳥たちは絶滅した恐竜たちが姿を変え生き延びた姿だという。有名な始祖鳥の化石が恐竜の骨格を兼ね備えていることを思い起こせば、青地氏が撮った鳥類の先に恐竜のイメージを見ることはあながち不可能ではないだろう。空に恐竜の棲む古代のビジョンを予感しながら視線が地表に注がれるとき、ここでも生命進化に欠かせない生命誕生の源である水面を捉え、個展会場を埋め尽くした雨水の水紋を撮った作品となって結実した。しかも、雨という古代のビジョンから天降(あまも)る天からの捧げものとしての痕跡が多数の水紋として展示された。
次に彼が表現したのは腔腸動物である海中のクラゲが浮遊する映像作品であった。生命進化の最大のステージであるところの海中に視線が移されたのである。そこには生化学者A.G.ケアンズ=スミスの言う生命の逆鋳型から誕生したコアセルベート状の、あるいは寺田寅彦の言う生命渦流が産みだすコロイド状の原始細胞膜形成の故郷があった。この生命エーテルの溶液である海水から複雑な進化過程を経て多様な生命体が形成されていった。青地氏の作品はこのような記憶を呼び起こす。彼の一連の作品から見えてくることは、”青地大輔”という生命体が捉えた〈自身〉の誕生までの胎生的記憶であるといえよう。
このことは獲得形質の遺伝を問題にしたJ.B.ラマルクに始まり、三木成夫が研究した受胎から出産までに辿る生物の形体的変化と複雑に絡み合う。このように見てくると魚類、両生類…などの変化を内包した人間誕生までのドラマを青地氏はこの地上の光景の中で描いているといえる。これは〈大いなる夢〉である。胎生学的な〈大いなる夢〉を、我々がよく見る空や海という日常の中に見いだしうる作家は果たして幾人いるだろうか? また、青地氏がライフワークとして取り組んでいる「犬島」を取り巻く環境は空と海だったことも併せて思い出して欲しい。何度となく犬島に渡ったという青地氏の行為は空と海に挟まれた世界へ接触するためであり、生命進化の感覚を呼び醒すための行為ではないのかと推測される。その感覚はある種の夢想状態を伴う。
これらのことを前提にしてみると今回の展覧会の映像は、浮遊する腔腸動物のクラゲから魚へという骨格形成を遂げた金魚に変わり、映像のループは真っ白なチルアウト状態となって長いタイムスパンで徐々に消えていく。それは私たちが眠りから醒めるときに体験する感覚だ。夢の中で遠方の微かな音を聞きながら次第と意識がしっかりとしてくるチルアウト感覚に近しいものだ。しかし、青地氏の描く夢は単なる夢ではなく、胎生学的な夢であり、その壮大な夢を終えて現実の世界へ着地するチルアウト感覚が今回の作品では描かれている。
能勢伊勢雄