2020年より新たな試みとして、季刊誌「Punto press」を発行している。
既に創刊号は発行されており、もうすぐ2号目が発行となる。
発行にあたり、アートに広く興味を持ってもらうキッカケにしたいという気持ちはあったが、
その前に、紙をめくって読む字が好きだとか、紙質はどうだとか(わら半紙はこんなに高いのかとか)
そんな作り手たちの個人的嗜好が発端であることも、堂々とここに記しておきたい。
「Punto press」は、あくまでプントという個人目線で綴っている。
なので、”現代アート情報誌”とうたっていながら、アートに触れないことすらある。
それでも、その言葉を小さく小さくどこかに入れておきたい、という気持ちも別にあった。
ある頃から、アートから見えるものは、作品の素晴らしさや表現から得るメッセージなど
芸術というジャンルの範ちゅうに留まるものだけではないと感じるようになった。
私の薄い経験ながらも、美術に携わる時間が長くなればなるほど、
むしろ大きく感じるようになってきたのは、アートを通して、
社会や物事への捉え方、多様性や価値観、もっと言えば心の在り方みたいなものまで、
大げさかもしれないが生き方さえ左右されるくらいの創造に触れられるということだった。
それを感じさせてくれたのは、私にとっては現代アートだった。
”現代アート情報誌”と小さく入れた「Punto press」に、取るに足らないアート以外の駄文が並んでいたりするのは、
そういう経緯があったりもする訳なのです。
そんなことは口にも出していないのに、良い頃合いの字で「現代アート情報誌」と書かれている創刊号のレイアウトが
編集担当の林さんから上がってくる、そんな繰り返しでPunto pressは出来上がっていきます。
こんなことを書くと、それはそれで また語弊があるのだけれど、
私は思ったことをできるだけそのまま正直に書くようにしている。
実際は、上手く書こうとしても、思っていないことは言葉が続かなくて、自然とそうなってしまう。
そして、書き出すと色々と思うところが出てきて、ついつい余計なことを加えて長文にもなってしまう。
林さんからは、いつも「〇〇字減らせますか?」といった具合に。
そう、私の文体が”ですます調”でない一番の理由は、文字数を減らすためなのです。
そんな中で少し頭を悩ませるのは、自分でない他の誰か(アーティスト)のことを綴るということである。
自分のことなら さほど気にせず記憶に基づいて書くのだけれど、自分以外の人について書こうとすると
ひたすらに当人について思い巡らせながら、少ないボキャブラリの中から言葉を選ぶので、
時に(常に?)とんでもない言葉を選択し、意図しない捉え方や印象を与えてしまうことがある。
言っておかなければならないのは、書かれた内容はあくまで個人目線であり、
それは本人が意図したものでも、もちろん願ったものでもなく、
場合によっては間違っていることすらある、ということなのです。
そんな言い訳のような前提を頭に入れた上で読んでいただけると、こんなに有難いことはありません。
そして「Punto press」は、過去にPuntoを築き支えてくれた方々なくしては存在し得ない。
そのうち、Puntoの足跡などもご紹介できればと思っているが、
私にできることは、自分の目線を貫いて思ったことを書くことに尽きるのではないかと考えている。
それ以外できないのだから。