「アート・プログラムin鶴林寺vol.4~施美時間~」に展示する筋ジストロフィー患者さんの作品、
徳島病院には本当にたくさんの作品が溢れていて、
実際に見た作品は素晴らしかった。
数多くのアート作品の傍らに、詩があちらこちらに置いてある。
それらの言葉も興味深くて、思わずパチリパチリと写真に残したら、
あっという間にデータの容量がいっぱいになってしまった。
私は普段、食べ物の写真はほとんど撮らないのだけれど、
わずかに残っていた食べ物の画像を削除して、またパチリと撮った。
その一枚がこちら。
「くち、のみこむ」
食べ物を飲み込みにくい、というところからの言葉かと安易に思ったが、
病院の方のお話によると「患者は看護師と長く過ごすうちに、親しくなる一方で不満も出てくる」
「時には文句も言いたくなるのだけれど、それを言うといけないと思って、
出かけた言葉をグッとこらえて飲み込む」そういう唄なのだそうだ。
「なるほど」
そう言いながら考えた。
確かに人間同士、相性もあれば気に入らないことも多々あるに違いない。
患者という立場もあり、我慢して言えない色々があったのだろう。
けど、どうだろう?
作品として書くことで、文句を言わずして見事に不満を伝えている。
頭が良い。
この手法(と呼んで良いものか)は、正に現代アート。
構図も良い。
昔の画家は、社会への不満を言葉で言えないから絵に現したものである。
こんな詩を小学生が書けるんだから。
また、分厚い冊子になった患者さんの詩集もたくさん置いてあった。
その中のひとつをご紹介。
奴ら
勝ち誇ったような目つきで
通り過ぎる奴らの心には天狗の鼻のように高く伸びた
「プライド」と言う
厄介な感情が隠されているのです
奴らにすれば我々の過ごすささやかな日常を
愚弄し否定するぐらいたやすい事であり
マイ ライフ イズ ベスト なのです
しかし「小さな夢」が林立した林を
ことごとくへし折られた我々には
「プライド」という厄介な感情が
悔しいくらいに羨ましいのです
ご支援は、今回の展示で参加される、命絶えた筋ジストロフィー患者さん、そのご遺族、
全力を尽くした医師・医療関係者の皆さま、支援を続けている教授陣、関係者の方々へ、
そして今まさに病と闘っている多くの人たちへの心強い応援にもなります。
何卒、ご協力よろしくお願いいたします。