昨年1月に始まった「DOTS 」は公募展に形を変えて今年から本格的にスタートします。

元々DOTSは、Puntoの思いに賛同してくれた学生など作家を目指すタマゴたちが集まり、

地方から次代を担うアーティストを輩出するために始まった企画展で、

DOTSという名前もこの中の1人のアイデアから名付けました。

 

画廊で絵を展示していると、こういう話になることがちょくちょくある。

「同じ芸術でも、音楽を聴いて感動して人は泣くけど、絵を見て泣く人ってどれだけいる?」

ミュージシャンの求心力に震える瞬間である。

思い返せば、私は小さい頃は図工もまぁ好きだったが、音楽の方が好きだった、たぶん。

たぶんと言うのは、かれこれ昔過ぎて記憶が薄いが故の曖昧な悲しみ。

小学校は朝から子どものリクエスト曲を皆で歌うという一風変わった担任に恵まれた。

小5の同級生のリクエスト、記憶にあるのは梅沢富美男の夢芝居だ。

今でも忘れもしない、あの楽曲は歌い切った。

中学校は筝曲部に加えコーラス部にも召集された。

当時、ハレルヤのアルトが足りなくてソプラノから移動させられたせいで、

自分の声が低くなったに違いないと今でも心の底でそう言い聞かせている。

高校ではなりゆきで ほぼ無活動なロック的バンドを組み、

福岡県人は分かると思うが大学時代は照和へ通った、たまに。

結果、からきし何の楽器もできない。

そう、音楽は好きなアーティストや思い入れのある一曲に心動かされるのに理由は要らない。

 

その視点で小さい頃の美術を客観視してみるとしよう。

実に地味ではないか。

作務衣と雪駄はなくていいけど、エレキギターをジャジャーンと鳴らした時のような

サッカーゴールを決めた時のような、そんなパッションが本当は大いにあるのに気付いてもらえない。

それは何故なのか?

音楽のようなメロディーや言葉がないために”分からない”対象として見られがちであるが、

作品の本質って何なんだろう?

DOTSでは、少しずつそんな部分にも踏み込んで発信できればと思っています、世界に向けて。

音楽は心動かされるのに理由は要らないと書きましたが、もちろん美術もしかり。

アートこそ理屈では説明できない魂の号泣なのです、たぶん。

たぶんと言うのは、関西人の語尾に着ける「知らんけど」の代わり。

 

記念すべき今展は、エントリーいただいた中から選出された18作家31作品を展示・販売。

DOTSでは、展示作品の審査員はオーディエンスです!

1月17日より、会場での投票に加え、インターネット投票を実施。

エントリー作家はSNS等で自由にPR、またネット視聴者の皆さんもどしどしご意見をお寄せください!

そこから、もうDOTSは始まっています。

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