「施美時間」のはじまり
私たちのアート・プログラムは、2006年岡山の病院で始まりました。その際、関係者には以下のようにお話してきました。「時々耳にする“病院”にアートを持ち込むという言い方を私は好みません。それだと、“病院”には本来アートは無いとの前提のようです。“病院”という言葉は英語の“hospital”に対する訳語として中国で誕生し、我が国では明治維新直前に長州藩の医師兼軍略家村田蔵六(大村益次郎)が初めて用いたそうですが、“hospital”の語源はラテン語のhostis(見知らぬ人)で、それはhospitalis(見知らぬ人をもてなす)から英語の“hospitality”へと続きます。そして、“hospital”は、長い歴史の中で、それを育んだ時代時代のもてなしの文化、アートと密接な関係をもってきました。残念ながら、日本では戦後効率的に設計・建設された“病院”に、本来、内在するべきアートが希薄であったかもしれません。」
しかし、我が国には“病院”よりもはるかに古い時代から、医を行う場がありました。聖徳太子が建てられた四箇院が思い出されます。医の空間には、豊かな仏教美術も存在しました。聖徳太子に縁の深い、そして薬師如来を本尊とする播磨の名刹、刀田山鶴林寺で「アート・プログラム in 鶴林寺」を開催するにあたって、何度か同寺に参りましたところ、病苦など多くの苦しみ、悩みを抱えた人々が素晴らしい仏教美術の施しをうけたであろう長い歴史が想像されました。
「アート・プログラム in 鶴林寺」で鶴林寺の長い時間の流れに現代アートを加えることで、美の施しがさらに豊かになるのではないかと期待しています。そのような願いを込めて、テーマを「施美時間(せみじかん)」といたしました。
現代作家の作品は、同時代を生きる作家の意図と鑑賞する人々の思いが、社会の情勢の影響を受けながら呼応して力を発揮します。
未曾有の震災を経験し、祈りと希望を希求する今、長い歴史の芸術を擁して人々を育んできた鶴林寺において現代アートの作家によるアート・プログラムを開催できることは、また、未曾有の好機と感じる次第です。
皆様のご支援に感謝申し上げ、多くの方々に施美時間を過ごしていただきますことを念じております。
アート・プログラム顧問 川崎医療福祉大学 特任教授 後藤真己
鶴林寺に舞台を移して以来、現代美術×国宝というサブタイトルで開催を続けている。
今回は、それにAIも加わった。
アート・プログラムの考えに賛同くださった参加作家たちは、
自身の考えで会場に合わせた作品を制作する。
おそらく各々違ったコンセプトや思いで制作に取り組み、それら作品を手に鶴林寺に乗り込んでくる訳だが、
自らに与えられた空間を如何に表現するか、
それが鶴林寺という舞台とどのように共鳴させ、
場合によっては違和感さえ覚えさせるのか、
作家同士の作品もしかり、その境内のライブ感こそ現地でしか味わえないものだと思っている。
当然、作品の見方に決まりはない。
もしアートの解釈に数学のような答えがあったら、それは時間と労力とお金をかけて
精根を使い果たし作らなくても、理路整然と言葉で説明すれば済んでしまう。
作家によっては明確な意図やメッセージがあるかもしれないが、
それは あくまで作り手の思惑であって、作品は出来た時からひとり立ちすると思っている。
知りうることだけを、自分の価値観だけが確かだと信じていると、
知らないことは、全部 理解できないもの=世界が違うもの になってしまう。
知らないことがあることを知れば、物事の本質が見えてくることだってある。
そこにアートの神髄があるからこそ、作家は思惑だけでなく心を作品に落とし込む。
故に、ピカソの作品と子どもの作品の違いが見え、逆に何でもがアートではないことにも気付くことができるのではないか。
インコたちには顔がありません。
目鼻口を付けることによって、作者の意思を入れたくなかったからです。
同じ型紙、同じ手法で作っていても、そこに置いただけで、インコたちはそれぞれ表情が違い、
それぞれの何かを背中から発しているように感じます。
インコたちは私が時間をかけて日々生み出しているものではありますが、
手をはなれた時から対等で、わたしは、作品に委ねているのです。
この秋の約2週間、鶴林寺に遠足のごとく舞い降りたインコたちを、どうぞよろしくお願いいたします。
川上和歌子
川上さんの今展の作品タイトルは「遠足」である。
彼女のアーティストたる感覚と企画者への粋な計らいに感謝したい。