役重佳廣の「カルマの複写-繰り返される記憶-」が始まりました。
写経の前に置かれたのは、鉛の鶴である。
一枚一枚叩いて薄く伸ばした鉛は、おり紙同様に折り曲げられるまでになっている。
折鶴は平和の象徴であると同時に、祈りや願いでもある。
例えば、病室のお見舞いや甲子園の高校野球などでも目にしたことがある。
49個の鉛で折られた鶴は見た目以上に手に重く、49日というあの世とこの世の間に存在しているのだ。
整列し黒くくすんだ折鶴は、行進している軍隊のようにも見えるのは私だけだろうか。
背中を向けると、鈍い光に照らされて同じく鉛でできた電球がぶら下がっている。
下には、壊れた椅子の座面の下に鉛が垂れ落ちている。
メルトダウンだ。
その脇には、ヒロシマの写真、フクシマの写真等が置かれている。
私たちが向かうべき道はどこなのか?
子どもたちの幸せな未来のために、今 我々が選ぶべきは何が正しいのか?
役重さんは、思想を訴えている訳でもなければ暗くもない(笑)。
優しくて愉快である。
作り手としての表現や作品がもたらすメッセージや感情、作家としての自身の役割を見つめ
それを身を以て示している作家の一人だと思う。
おそらく人は賢くなればなるほど自分の無知を知り、本質に気付く英知を持つからこそ真の優しさと判断ができるのではないかと思うが、
役重さんとお話すると まさにそのような事を感じ、改めて展覧会ができることの有り難さを実感した。
今回の展覧会が、考えるキッカケや本質を見つめ直す機会になれば幸いである。