真っ赤な糸で囲われた五円玉をあしらった白装束に身を包んだ彼女。
制作に入るとストイックなまでに集中する楢崎さんが、華奢な体で人間の練習を続けて2週間になる。
残すところ最終日となってしまった。
プントでは初個展となる楢崎さんであるが、ここに照準を合わせて5メートルの大作を用意してくれた。
渇望するかのように無数の手がフェンスのこちらとあちらから伸びている混沌とした世界。
そこからの天高く伸びていくケイトウは、更にもう一方の作品へと繋がり、
希望の象徴でもあるケイトウの花は、手の届かない遥か上空に位置している。
楢崎さん曰く「絵画(物事)は常に、こちらの都合の良いように人間の目の前に置かれている。
しかし、本来は人間の都合の良いように欲しいものが目の前に置かれる訳ではない」
欲しいものほど手の届かないところにあるのが現実である。
そんな考えから、ケイトウの花は手の届かない一番先に描かれている。
「有愛の花」
有愛というのは仏教の言葉でこの世に存在をするという事への欲望や執着、渇愛という意味を持ちます。
この世にもがきながらも生きる人間ときっとこれからも永遠に正しく直視する事は出来ないけれども、
その花に咲いているであろう花の様なものに想いを馳せています。 楢崎くるみ
そして、今回はフェンスをテーマに作品を揃えている。
こちらの世界とあちらの世界との境にあるフェンス、それは生と死という意味合いを超えて、
様々な事柄を私たちに問いかけている。
これ以上前には進めないけれど、見えてしまう向こうの景色に私たちは何を観るのだろう。
会場は、日々増殖し変化を続けている。
生きれば生きるほど、私はこの世に人間として生まれてきた事に疑いの目を持つ。
この特殊で目まぐるしく変わり続ける不安定な世界の中で
「人間の練習」をする私はあなたの目にはどう映るでしょうか?
悲惨?滑稽?よく分からない?
もしも目に見えない感情が生まれたら私に教えて欲しい。
私は人間の練習をしながらお待ちしております。 楢崎くるみ
作家は自作のフェンスの中で、パック詰めされたちりんめんじゃこに名前を付け、
「生きててイイですよ」と語りかけながら一匹ずつフェンスの向こうの世界へ誘っている。
社会で画一化され密閉された窮屈な人間たちの個人を救済するかのように。
普段は渋谷で行っているちりんめんじゃこの散歩だが、今は冷えてきた加古川の住宅街で出会うことが出来るだろう。
是非、あなたも自分のちりめんじゃこと一緒に散歩をしてください。
楢崎くるみの「人間の練習」は、11月6日まで。